サービス事例 / 2014年9月16日

当社で手がけた技術サービス事例をご紹介します。

日産フェアレディZ 初代 S30/S31型系(1969年 - 1978年)

2014年9月16日

初代フェアレディZ(S30)

アライメントでご来店。当店のホームページを見てご来店いただきました。

ありがとうございます。

タイヤサイズは205/60R15。当時としてはハイスペックな15インチ。

平成初期辺りではR32スカイライン、A31セフィーロ、C33ローレル、アコードCB系など装着車がありましたが、現在では超レアサイズになってしまいました。これも時代の流れでしょうか?!

フェアレディZは、日産自動車が製造するスポーツカー。日本における通称は「Z」。

いずれのモデルも「フェアレディ」を冠すのは日本国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と社名を付して呼称されます。

現行モデルは北米市場を含め日本国外では「NISSAN 370Z」として販売されています。アメリカでの愛称は「Z-car」(ズィーカー)など。

S30Zは、ヨーロッパ製の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、格段に廉価であったことで、北米市場を中心に大ヒットしました。

日産のイメージリーダーカーとして、足掛け10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立しました。

「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれ、日産自動車の輸出モデルの総称でもある「DATSUN」の名を世界に知らしめた日産の記念碑的車両です。

このモデルの開発・販売を企画したのは、1960年代当時、米国日産の社長であった片山豊。

彼はダットサンの北米市場拡販のために強力なイメージリーダーとなるモデルを求めており、イギリス製小型スポーツカーの模倣に留まる従来のダットサン・フェアレディでは、市場での競争力やインパクトが不十分であると考えていました。

片山はアメリカ市場でのニーズに適合した新しいスポーツカーの開発を要望し、1960年代中期から、腰の重い日産本社に対して熱心な働きかけを重ねた末に、当時の日産社長だった川又克二からようやく開発のゴーサインを得ました。

片山は技術者ではありませんでしたが、アメリカ市場のニーズを見据えて日産本社の開発陣に明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、初代「Z」のプロデュースを主導。片山自身はインタビューで「ジャガー・Eタイプのような車を造ってくれ」と要望を出したと述べており、初代Zのスタイリングはその期待を十分に満たすものとなりました。

「Z」のスペックは高度なもので、軽量なモノコックボディに、前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を備え、市場で先行するジャガー・Eタイプやポルシェ・911などに肉薄しました。

<車名の由来>

ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前と言われています。

「FAIRLADY」は貴婦人、「Z」はアルファベットの最後の文字であることから究極を意味。

また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産社長片山豊がZ旗を贈ったエピソードもあるとか・・・。

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