箱根バカンス①
店長の西田です。
先日休みをもらい、月に1度の家族の日で箱根バカンスに行ってきました。
愛妻の誕生日ということもあり、1泊2日の小旅行。
自宅のある府中市から箱根までの道のり…。
6月28日になれば、圏央道の高尾山~相模原愛川が開通しますが、まだ2ヵ月先…。
東名川崎まで行くか、横浜青葉までいくか、圏央道相模原愛川までがんばるか…。
どうせなら走ったことのない相模原愛川まで行こうということで、
以前住んでいた八王子の南大沢を抜け相模原へ向かいました。
圏央道と東名のドッキングは多摩エリアからのアクセスは抜群です。
相模原~海老名はあっという間に着きます。
そして厚木からは小田原厚木道路(通称おだあつ)。
この小田原厚木道路を箱根方面に向かうと杉並区と同じ「荻窪」という地名が登場します。
杉並区民には親近感が湧くちょっとしたスポットかも…。
そして向かった先は箱根の関所。
G/W中ということもあり、駐車場は満車です。
そして芦ノ湖が見える高台に箱根関所の見張り台があります。
六十数段の石段を上り下りして早速筋肉痛がやってきました。
<関所とは…>
関所の歴史は古く、西暦646年の「大化改新の詔」に「鈴鹿(伊勢)・不破(美濃)・愛発(越前)」に「関塞(せきそこ)」を置くことに始まったといいます。ここでいう「関」「塞」ともに、閉ざす・防ぐという意味を持ち、関所とは防御の拠点ということになります。
しかし、鎌倉時代以降の関所は、「関銭」というお金を払わなければ通ることができない所となり、集めたお金でお寺や神社を建設するといった、いわば経済的な施設となりました。
江戸時代に入ると、幕府は江戸を守るため、全国に関所を設置しました。江戸時代初期には、豊臣方の残党などの脅威があり、関所は軍事的な拠点として機能していましたが、やがて平和な時代となるにつれ、関所の役割も治安維持のための警察的機能へと移り変わっていきました。江戸時代260年間にわたって機能してきた関所も、幕府が倒れた後、明治2年にその役目を終え、廃止されました。