シンガポール紀行⑤
シロソ砦。
かつて123年間のイギリスの植民地だったシンガポールが旧日本軍によって占領されたのが1942
年2月15日。バレンタインデーの翌日です。
日本占領下のシンガポールは昭南島と改名され、日本によるシンガポール統治が始まりました。
その後シンガポールが戦禍に巻き込まれることもなかったため、軍政は大きな支障もなく進めら
れ、官民を問わず多くの日本人がシンガポールに渡りました。その後日本人向けの食堂や料亭も
作られ、また日本軍はこれらの日本人のために昭南神社と忠魂碑を建立。
この後、蒋介石率いる中国軍やオーストラリアを経由したイギリス軍の支援を受けて日本軍に対
するゲリラ活動を行っていた多数の中国系住民(華僑)が摘発。これにより、6,000(文部省社
会科教科書)~数万人(シンガポール政府発表)が殺害されたといわれています(シンガポール
華僑虐殺事件)。
そんな一連の様子を展示してあるシロソ砦。当時の大砲や収容所があります。歴史好きにはたま
らない場所です。英語、日本語、中国語で説明書きはありましたが、あくまでも華僑側から書か
れた説明が多い為、日本の占領時を良く思っていないような印象でした。当時のイギリスと手を
組んでアヘンを中国に流していて利益を得ていたシンガポールの華僑。シンガポール原住民のマ
レー人はアジア人の日本が白人のイギリス人を追い出しシンガポール独立の礎を作ったとして日
本の占領を喜ぶ声もあったというが、華僑側からすると逆の発想。大迷惑。両者の意見があるの
だと実感しました。改めて太平洋戦争(大東亜戦争)を考えるきっかけになりましたね。